「集中力」と「一所懸命」は似て非なるもの
仕事の成果が低かったり、効率があまりよくないと感じたり
なんだか、仕事をコントロールできていないと思うとき
僕が思い出すのが「集中力」と「一所懸命」の違いです。
僕は中国古典が好きで、その中でも呂新吾が書いた「呻吟語」はよく読む中の一冊です。
読みやすいのは「30歳から読む呻吟語」という
中島孝志さんが書かれたもので、その中にも「集中力」と「一所懸命」の違いが
紹介されています。
集中力というと、一所懸命やってしまいがちですが
実は集中力と一所懸命は似て非なるもの。
というか実は対極にあるものです。
なぜなら、一所懸命になると、今まで見えていたことが見えなくなる。
視野がものすごく狭くなってしまいます。
車で高速道路を猛スピードで走っている感覚(もちろんスピード違反は駄目ですよw)
周りの景色は見えなくなり、スピードができいるので緊張状態。
一つ間違えば大きな事故になってしまいます。
一所懸命になると、とにかく落ち着いて仕事ができなくなります。
要はリラックスできなくなり、リラックスしていないから、
気配りができなかったり抜け漏れが出たり、とにかく余裕が無くなってきます。
もちろん、目的がはっきりしていたり、単純だったり
ゴールが明確で、そのプロセスも分かりやすい場合は一所懸命で問題ないです。
例えば、100m走で1番を取るとか。。
単純作業でたくさん個数をつくればいいとか。
戦略、戦術、戦闘がしっかり集中して考えられていて
あとは「一所懸命」業務をすれば勝てるという場合とか
■複雑系の今だから
現代のホワイトカラーという責務において
単純な仕事だけというのは無いに等しと思います。
非常に複雑で、目的も複数あり、短期であり中長期も
プロセスも、極端な話、ゴールも一緒に構築しながらという日々です。
臨機応変に対応しなければいけない問題を抱える方は
むしろ一所懸命にやってはいけないのです。
たとえ戦略、戦術、戦闘がしっかりしたものでも
定期的にPDCAを回して、軌道修正をする必要はあります。
ずっと一所懸命だけだと、コース変更ができず、取り返しのつかないことに
なってしまうことがあるかも知れません。
特に管理者はそうだと思います。
自分の業務にだけ一所懸命で(もちろん一所懸命じゃないと駄目な時もあります)
部下のこと、組織のこと、未来のことを考える余裕が無いのは問題です。
■弓を射る
では、具体的にどうすれば、「一所懸命」でなく「集中」して
仕事に取りかかれるのでしょう?
中島さんの本に例えで書いてあり、なるほど!と思えた一文をご紹介します。
集中力は一所懸命と違う。たとえば、弓を考えてみよう。
弓を射るとき、懸命に射る人はいない。力を抜いて心身ともに静寂になり
リラックスしなければ、矢は的に当たらない。
弓を射る環境とは、まさに集中力が必要で
決して一所懸命やっても、的の真ん中に矢は当たらないでしょう。
そう考えていろいろ偉業を成し遂げた歴史上の人物の過ごし方を思い返してみると
集中できる”環境”を自分で作り、しっかり頭と心で考え、物事を進めているように感じます。
「今日はするべきことがあまりにも多いから、一時間ほど余分に
祈りの時間を取らなければならない。」 マルチン・ルター
坂本龍馬も桂浜で、日本の未来をしっかり考えていたでしょう。
集中できる”環境”を自分で作ることも重要ですね。
そういう意味では、社長室がある会社も理解ができます。
■乃木将軍も集中
たまたま今僕が住んでいる家の側に「清龍寺」というお寺があり
そのお寺は一般人でも座禅ができるのでたまにやります。
その「清龍寺」では乃木将軍が、日露戦争において戦争の命運を決するとさえ言われた
”旅順攻撃”への出陣を前に、不動院本堂で坐禅を行い、
境内の不動の瀧に打たれ心を整えていました。
その寺には、「智人不惑」と乃木将軍が書かれた掛け軸が今も置いてあります。
「智人不惑」の意味は、
しっかり修行を積み、考え、覚悟を決めた人間(乃木将軍自身のこと=智人)
は迷うことなく事を成す。という意味であると住職は言っておられました。
この掛け軸が置いてある部屋は、空間としてはそんなに広くないのですが
初めて行った時に静寂で非常に研ぎ澄まされる環境でした。
ただ、乃木将軍の話を聞いた後、というのも影響してか
少し異様なまでに重い空気だったのを覚えています。
乃木将軍も旅順攻撃は、日本軍の戦力を考えた際に
非常に躊躇されていたらしく、本当に勝てるのか?という迷いを最後まで
持っていたらしいです。
それでも勝ち方を集中して考え抜いて、勝利に導いたのでしょう。
仕事の大小に関わらず、「集中力」を意識して取り組めば
今以上に効果が高くなると思います。